warさんの書評
夢野 久作
ドグラ・マグラ- 角川文庫76.10
- 「ドグラ・マグラ」は、昭和10年1月、1500枚の書き下ろし作品として、松柏館書店から自費出版された。<日本一幻魔怪奇の本格探偵小説><日本探偵小説界の最高峰><幻怪、妖麗、グロテスクの極>とうたった宣伝文句は、読書界の大きな話題を呼んだが、常人の頭では考えられぬ、余りに奇抜な内容のため、誉褒が相半ばし、今日にいたるも変わらない。<これを書くために生きてきた>と著者自らが語り、十余年の歳月をかけた推敲によって完成された内容は、狂人の書いた推理小説という、異常な状況設定の中に、著者の思想、知識を集大成する。これを読む者は、一度は精神に異常をきたすと伝えられる、一大奇書。
- …………ブウウーーーーンンンーーーーーンンンン………………。
奇怪にして難解。人間界と魔界の境界をさまよう。やがて境界すらも破壊し、のちに精神世界を崩壊へと導く。限界。韻を踏んで遊んでみたりしたが、内容を説明するとこの様に表現するほかない。いや内容を説明するという行為自体が出来ない。少なくとも私には。そのかわりと言ってはなんだが、もっとも的を得ているドグラ・マグラについての説明文を紹介しよう。若林博士が七号室の青年に書評を述べるのである。作中で。もうこの辺りで脳髄の方が大声をあげてしまいそうになる。悲鳴か、歓喜か。
著者の意図はなんなのか。読者を惑わすことに心血を注いだようにみえる。精神病院を舞台にして物語はすすめられ探偵小説という一応の設定ではあるが、もしかすると著者にはその設定さえどうでもよい事だったのかも知れない。
青年が読む、もしくは体験する断片的なもの、一郎の衝撃的な体験、それら全てが胎児の夢だったのだろう。それで納得出来ようが出来まいが知ったこっちゃない、とでもいうような著者に
物語の放棄ともとれる身勝手さ、不満を感じつつもこの上もなく魅力を感じる。
Quanさんの書評
「ドグラ・マグラ」(現代教養文庫)夢野久作
小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』とともに、推理小説史上に残る“三大奇書”のひとつ。一般に流通しているのは角川文庫版の分冊だが、カバーなしの現代教養文庫版が250円だったので買って読んでみる。
読後、すぐに思考を停止した。これは手持ちの材料で考えれば考えるほど狂気に陥ると思ったからだ。すさまじい量の情報、しかし肝心の何かがごっそり抜け落ちている感触。これは確かにやばい本だわ。思考停止をして「これはこうなんだ」と決めつけなければ、泥沼にはまる。これを戦前に書き上げたというのだから凄い。
例えば、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』を最初に読んだときのような衝撃がある。だが、『姑獲鳥の夏』が作者の知識と小説としての技術によってこちらの精神に一撃を与えたのとは違い、この作品は作者の精神が直接こちらの精神を揺さぶる。その為、『姑獲鳥の夏』とは似てもにつかぬ読後感が得られた。小説としては「面白くない」部類に入るのだろうが、全くの前例なく、この幻魔作用(=ドグラ・マグラ)を創造した作者の精神構造と言ったら……。
“奇書”の名に恥じない怪作でした。
評価不能
神薫さんの書評
『夢野久作』
角川書店
「ドグラ・マグラ」上★★★★下★★★★
主人公が時計の音で目を覚ますと、そこは牢獄の独房のような部屋であった。そして彼は、自分が誰だかわからなくなっている=自己生活史健忘であることを悟る。自分はいったい誰なのか?思わず叫び声をあげると、隣から女が「お兄さま」と呼びかけてくる。その声によれば、彼女は彼のいもうとであり、許嫁であり、婚礼の晩に彼に殺されたのだが、甦って来たのだという!?彼女ははたして狂人なのか、そして自分は…。
梶尾真治がものしたドクラ・マグラのパロディ「ドグマ・マ=グロ」。それを読むに先だって、こんな機会でもなきゃ読まないだろうし、どうせだから本家も読んじゃえ!と私は思い立ったのだった。「読むと一度は狂気におちいる」と言われてたりして(誰だそんなこと言ったのは?)ずっと尻込みしていたのである。
読んでみれば…なんたることか、オカルトでもなくきちんとしたミステリではないか!2件の殺人事件の謎と、記憶喪失の主人公の自分探し、1000年前から伝わる呪いの巻物…とワクワクする筋仕立て。このごろのオチが不明で難解な新本格ミステリや、矛盾だらけの不条理ホラーを読み慣れた身には、この物語が理路整然とした構成に思えた。ありきたりな物語のように起承転結のはっきりした展開ではないので、そこはやや面食らうかもしれない。しかし、アレはソレの伏線だったり、コレには後で重大な意味があったりとかして、読む前に予想していたようなエログロ・ムチャクチャな話ではなかったです。 精神病院のありようを唄った「キチガイ祭文」が私の好み。そして、医学の説明がまた面白い。脳髄に与えられた新たなる意味、「胎児の夢」などの珍説が、現実で事実と信じられていることをことごとく覆すかのごとく披露されるのに目をみはった。荒唐無稽のようでいて、不思議と経験則に合致するのが感動的ですらあった。確かにそれならば、人間が悪夢を見たり、ふとした瞬間に魔がさしたりする理由が説明出来るものな。
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