『今昔続百鬼―雲』 講談社ノベルス 京極夏彦 | |||
感想 京極堂シリーズのサイド・ストーリーとしては、榎木津礼二郎が縦横無尽の限りをつくす『百器徒然袋−雨』が発表されているが、話の骨格としては勝手な振る舞いを行う稚気な男に翻弄される者の視点で物語が進むという同じ体裁を持っている。サイドストーリー共通の体裁になるのかしらね。まぁ、この骨格は嫌いじゃない。 この二つの作品の大きな違いはといえば、やっぱり軸になる人物だよね(笑)。 多々良センセイ…妖怪談のみに盲目な小太り、基い大太りなオヤジだもんな(笑)。 同じ稚気な行動をする人物でも、榎木津とはビジュアル的にも似つかない。比較することすら失礼に当たる位に違いすぎる。 それに、京極堂と同じ妖怪通だから薀蓄も饒舌とまでは行かないけれど、語ることができるので京極堂不在でも物語が成立できる。似て非なる作品というのでしょうか。 そして、何よりの違いが、妖怪を精神論を中心に認識能力で論じる京極堂に対して、多々良センセイは、画図に書かれた妖怪に含まれている思想や韻など時代や土地といった風俗を読み解いて行く傾向が強い。同じ石燕の絵でも色々な解釈を提示できるなんて、作者の造詣の深さを思い知らさせるよ。 それにしても、ふくやまけいこ氏の挿絵は何故に含まれているのだろう…。本書一番の謎だな(笑)。 | |||
2月24日読了 |